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交響曲第2番 (ボロディン) : ウィキペディア日本語版 | 交響曲第2番 (ボロディン)[こうきょうきょくだい2ばん]
交響曲 第2番 ロ短調は、アレクサンドル・ボロディンが歌劇『イーゴリ公』と同じく1869年に完成された交響曲。この2曲の作曲は長引いて手間取った。ボロディンは、オペラにするつもりで準備済みであった素材のいくつかをこの交響曲に転用し、曲調と音色の結びつきを強めた。 == 概要 == 交響曲が1877年になって完成すると〔『最新名曲解説全集2 交響曲II』音楽之友社、1989年、39頁(井上和雄執筆)〕、ボロディンはこれを「勇者''Épique'' 」と呼んだ。実際のところこの作品は、とりわけ第1楽章において、峻烈な勇壮さで貫かれており、第1楽章の「勇壮な」主題〔この「勇壮な」主題は、モーリス・ラヴェルやフローラン・シュミットなどが1900年頃にパリで旗揚げした芸術家サークル「アパッシュ」のテーマソングとして愛好された。〕が作品中を循環している。その他の楽章も典型的なロシア風の色彩に染められている。特にアンダンテ楽章は旋律が優れており、休止なくフィナーレへとなだれ込む。 1877年にエドゥアルド・ナープラヴニーク〔指揮のナープラヴニークは後にチャイコフスキーの追悼演奏会で悲愴交響曲を指揮している。〕の指揮によってサンクトペテルブルクで初演されたが、真の成功には程遠かった。その後ボロディンが管弦楽法に多少の手を入れ、1879年にリムスキー=コルサコフの指揮によって初演されると、今度は成功することができた。1882年には交響曲第3番の作曲に着手したが、これは歌劇『イーゴリ公』と同じく、作曲者の死により未完成のままで遺され、どちらもリムスキー=コルサコフとグラズノフの手により補筆・完成されることになった。
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